昨年、宜野湾市民会館大ホールにて行われました城間源哲税理士事務所創立30周年記念講演会より所長 城同源哲による講演『創業の心』を、114号より引き続き後半を掲載致します。
〜 企業の求める人材と子育て 〜
城問税理士事務所 城 間 源 哲
「ハイッ」という言葉は「やります」という宣言です。特にビジネスの場合は「やらせて下さい」という宣言です。職場にこの言葉が響くとお互いに励まされます。だが、「ハイッ」という言葉は、日常から使っていないと、なかなか急には出てこないものです。 そういうことで、採用の段階から「ハイッ」という言葉を大事にするのだというお話をしましたけど、実は、その「ハイッ」で一度失敗したことがありました。うちの職員採用は、部長達がある程度決めて、しぼった段階で最後に応募者と私も面接するというのが普通なのですが、M君の採用の時は、わたしの独断で採用したんです。M君というのは女性なんですがね。どうしてかといいますと、商業高校の卒業生なんですが、そこの教頭先生、担任の先生、クラブ担任、3名でおみえになり、この学生のすばらしさを熱く語りました。そして「ぜひ、育てて欲しい」「ぜひ、採用して欲しい」といわれる。その熱意に負けてしまいまして、それに本人も「ハイッ!」という返事もありましたから、通常のルールとは違う、つまりうちの部長達を抜いて、私が独断で採用してしまったんです。「そうですか。先生方が、それほどおっしゃるのでしたら、うちではこういう有能な人材はいつでもありがたいことですから、じゃ採用させていただきます」ということで採用したんです。私の独断で。ところが、少しうまくなかったんです。 なにがうまくないかというと、声が小さい、電話はなかなかとろうとしない、仕事をやらせても消極的だ、歩く時はうつむいて下ばかり向いている、全体的に暗い、これがM君に対するうちの部長達の評価なんですね。所長が勝手に採用したんですが、いかがなものかということになって私も勝手に決めたものですからね、それに彼等がM君に対して言っていることはことごとくあっていると思ったんです。 これまでも、そのままの流れで育たない職員は、じかに私が預かるということは数多くではないがあったことです。なにせ小さい寺小屋ですから。私はその時も、自分で預かることにしました「わかった。M君は私が預かろう。その代わり、その間はだれもかまうなよ。何も言うんじゃない私が預かっているのだから」ということにしました。私は充分に、可能性があると思ったのです。どうしてか、声は小さいけれども、「ハイッ」という言葉はちゃんと使っている。「うん、アピールの仕方が悪いだけであって、やる気はある。ハイッという言葉は小さいけれども、ちゃんとハイッと発音している。リズムをつかめば何とかなりそうだ」こんな風に思いましてね。 彼女に白紙を持って所長室に来るように言い、そして、当のM君に紙挟(かみばさみ)の中のA4の白紙に書かせました。「部長達いわく、一つ、君は声が小さい。二つ、仕事に対して消極的だ。三つ、電話もなかなかとろうとしない、四つ、いつもうつむいて歩いている。そして全体的に暗い。今の書いたか」「ハイッ、書きました」「よし、読んでみろ」M君は声にして読み上げました。「どうだ君はどう思う」彼女は根が素直な職員なので「所長、みんな合っています」「そうか、それなら君はそれをやめたらいいじゃないか、うつむくのをやめて上を向いて歩けばいいじゃないか」「そうは思っているのですが、ついそうなってしまうのです」。そこで私は「よし、それを全部取っ払ってしまう方法がある。やってみるか」「ぜひ、やります」「では、次の二つを実行しなさい、そうすれば今言った全ての事が消える。一つ、事務所に少し早めに来る事、ドアが開いていたなら、必ず誰かがどこかにいるので・大きな声で‘おはようございます’と言ってみる。一番早く来たときもやること。三つ、歩くな、歩くからいけない。走れ。どこでもいいから走れ、事務所の中でも走れ。小走りでいいから走りなさい。この二つで、全部がうその様に解決する」。すると、M君は本当に実行していました。私が4階から見ていると、銀行に行く彼女が国道を走っているのです。お〜、やってるじゃないか、こいつは見込みがあるな。そして、少し電話代がもったいないのですが、外からしきりに電話を掛けて彼女が電話にでると、誉めてやる。「電話を取るのが早いじゃないか、君の声はよく聞いてみると実にさわやかでいいじゃないか」。このように一日に何回か掛けていると相手も意識するようになる。「また所長ではないか。早く取らなければ、所長に叱られてしまう」。こんな風にしていくとだんだん電話も慣れてくる、取るのも早くなってくる、声も大きくなってくる。そしてついには、福岡の取引先のカシオから電話が入り、「いや〜、先生の所のMさん、いいですね。あの声を聞いていると元気がでますよ。宜しく伝えて下さい」なんて言われるのに三ケ月もかかりませんでした。やはりちょっとしたリズムを変えてやるだけでいいのですね。そしたら部長達は何と言ったと思いますか?「所長、Mさんは素晴らしい。あの声はいいですよ」。 人を育てるのはいろいろ大変ですね。それでもなお育てようと思うのは、スタッフへの愛着なのですね。ですから、愛着が無くなったらとてもできません。そしてその愛着は何処から生まれるか。実はその源は「ハイツ」という言葉、「ありがとう」という言葉からくるのです。私はこれがコミュニケーションだと思います0ですから、「ハイッ」と「ありがとう」というコミュニケーションの源を大事にしてほしいですね。これはきっとその人の人生の財産になります。次に、愛着と言いましたが、やはり若者が好きでなければいけません。というのには実は理由がありまして、少しオーバーに言うと恨み辛みがありまして、私は、若者のことを話す時は必ずイイと言うようにしております。その理由は、私が二十歳頃のことです。先輩達は決まって「今の若者はなっていない」と言う言葉でむすぶものだと解りました。誉めていたかと思うと、「しかし」や「だが」という接続詞がでてきて、やはり最終的には否定的になるのです。「自分の若い頃に比べると」という言葉の後にも、やはり結論は「今の若者はなっていない」なんです。悔しいのですか、若者で何も実戦的な物は持っていない頃でしたので、今もさほどないのですが、何を言われても返す言葉がありません。その時、思いました。よし、私はやがて30代、40代、そしていつかは50代になるときがくるだろうから、その時に今の若者はイイと言えるようになろう。そしたら、今の悔しさは晴らせるのではないか、先輩達への恩返しができるだろうと考えました。少し怒って考えました。二十歳の頃です。そして現在、どの時代の職員にも「今の若者はなっていない」等という言葉を私は使っていません。 言葉は、気を付けてほしいのです。言霊(ことだま)の力というのですが、悪い言葉を使ってしまうと、悪い点探しがはじまるのです。なっていないと言うと、なっていない点を探します。ですから、今の若者はイイと言えば、イイところ探しに入ります。「言霊の幸いなる国」と言うのがあるのですが、実はそれは日本の事なのです。我々は肯定的な言葉を使うと、それに続く言葉も肯定的になります。否定的な言葉を使うと、やはりそれに続く否定的な言葉がでてくるのです。否定的なことを何名かで話していると、どんどんエスカレートしていきます。前の人よりもっと決め手になるような否定的なことを言おうとします。ぜひ、イイ言葉を使って言霊の力を利用して、思考をよい流れに導いて下さい。 うちは、30名そこらの小さな寺小屋みたいな所ですが、スタッフ達と接しながら、今の若者には、私の若い頃にはなかったイイものがあると思います。はっきりとあると思います。それは何かと言いますと、私の若い頃は人から見られているという意識が強かった気がします。大人から見られている自分、反射的に大人に良く見られようとする自分。ところが、今の若者と会って思うのが、そうではなく、自分は自分らしい仕事をしてみたいという思いで取り組んでいます。自己実現を意識している。ですから自分の仕事との取り組みが自分のペースで続きます。私はいつの間にか夜遅く電話をする癖がついています。誰かが残って仕事をしているのではないかと気になります。「何してるんだ、この時間まで。もう遅いぞ」とよく電話をします。そういう時も彼らは誰かが見ているからやっているのではなく、誰かに見られている意識からやっているのでもない私はそういう意味では、いろいろな意見があると思いますが、今の学校教育は間違っていない、合っている、それなりの人材は育っていると思います。そこにはある意味で解放された自由の中に若者達は自分を自分で見ている、そう思います。その点が私の若い頃とは違う。そこが今の若者はイイ。 さて、我々は3つの話をやってきました。深く考える人という事で、多面的にものを見る人に我々はなりましょう、そしてそのような人を育てましょう、という話をしました。二つ目には、我々が日々使っている言葉ですが「ハイッ」と「ありがとう」という言葉、これは大事なものですよ、我々のコミュニケーションの源です。それは一つの宣言にも聞こえ、或いは覚悟にも聞こえます。又は喜びと感謝の声にも聞こえます。そういうことで「ハイッ」という言葉、「ありがとう」という言葉を大事にしましょうと話しました。そして、3つ目に「今の若者はいい」という話をさせていただきました。 最後の話になりますが、今日は学生の方も多数参加しておられますので、職業選択についてですが、「自分はとの職業が適しているか」、「他に自分はもっといい仕事があったのでは」、「自分らしい仕事があったのでは」とか考えます。また、学校選択においても、しまったというようなことになりはしないか、ということを考える時があると思います。また、お母さん方が、自分の子どもをどの学校に入学させるかを決める時に、しまったとか、とんでもない選択をしたという思いがおこらないか、とご心配があると思います。若いみなさんが二十歳の成人式を迎える頃に、そこで就職先の判断を間違えたら、自分の人生がとんでもないことになるのではないかと、職業選択の違いが自分の人生の決定的なものになることはないかというような不安とか、先が見えない、読めない不安をお持ちになるかもしれません。私は結論として、そういう心配はなさらないでよいと思います。意外に人は、その人なりの生き方をちゃんとみつけて生きていくものだ、と私はそういうふうに思います。 そんなこと言い切っていいのかという反論があったら困りますので、「私の」とつけさせていただいてお話をします。私の職業選択と人生、どうして今税理士になったんだ、そして税理士になってそれでよかったのかというような事を、30周年という一つの機会を得ましたので、滅多にしないことですが、思い出風なお話をしたいと思います。 まずは、今の事務所の状況からお話します。私は、30年税理士をやっています。まだ道は始まったところだと思っていまして、私はスタッフと一緒に今もこれをやろう、あれもやろうといつも思いながら、登りたい山を探して、ときには登る山の麓(ふもと)にいたり、あるいはようやく中腹にきていたりと、ささやかなチャレンジを続けています。時には一つの山を登るとまた欲が出て、もう少し高い山に登ってみようかなとか、全てうまくいっているというわけではないのですが、そんなことを思い続けながら歩き続けています。ですから、少しは成長したのかもしれませんけれど今日も、おそらく明日も、いつも道半ばだなという実感を我々はいつももちながら仕事をしてします。これまで、お客さまをお招きしてのそれらしいパーティーを出来なかったのも、道半ば、多くのお客さまをお呼びしても申し訳ない、そんな思いがあってのことてした。 今、結果的に税理士になったということで話をするところですが、実は私は税理士という職業があることを全く知りませんでした。大学に入学する時、高校の頃ですね、私は田舎の高校を出ているものですから、なかなかそういう情報がありませんでした。実は私は文学専攻をやろうと思っていたんです、ずっと。ところが文学専攻ということて、小説や詩はある程度読んでいたのですが、受験勉強はあまりしなかったものですからね、大学受験に落ちてしまったんです。それで一年間浪人しました。一年間浪人すると、今みたいに塾とかがありませんので、一日中家にこもって、ただひたすら壁に向かって、一人で勉強するというような生活でしたから、一年というのがとても長いんです。すると、せっかく長い一年をいただいたのだから、何か考えようと思いました。その頃、18才の時だと思いますが、その少年の頃に、こう考えるようになりました。「せっかく一年という膨大な時間をいただいたのだから、まるで違う学部を専攻してみるというのはどうだろうと。文学とまるで反対なのはなんだろうか」と一生懸命考えました。「法律はどうだろう。経済はどうだろう」すると色々見ているうちに、私は当時よくわからなかったのですが「商学」という専攻があることがわかったんです。よくわからないけど、多分商売の話をやるのではないだろうか、すると文学とまるで反対だな、これは是非この学部と学科について聞いてみようということで、巡回説明会でやってきた大学の方に聞いてみました。「ああ。これは正に現ナマと関係がありますよ。就職も今一番売れ行きがいいですよ」というような説明だったんですね。「そうか現ナマと関係があるか。これは文学と現ナマはまるで関係がない、逆といえばまるっきり逆だし、よし商学科とやらにしよう」ということで、受けたのが商学科だったのです。 私は、その少年の意志決定に引きずられて、その延長線上で税理士になって、今こうして30周年を迎えているわけです。別にしまったとも思ってません。多分、商学科に入らなくて、文学科に入っていたら、またそれなりに生きていたであろうと思いますし、いささかもその職業選択で人生に大きな影響を受けたとは思っていません。ですから、これから子どもの進路をお決めなさるとか、或いはご自分でこれからの職業を選んでいくとか、進路を決められる時も、そんなに大変だとはお考えにならずにいいのじゃないかと思います。私は、その人なりのめいいっぱいさ、真剣さ、楽しさで生きて行ければ、生きていく道というのは、ほぼ同様なその人らしい人生があるのではないかと思っているのです。 ただ、そんなことで、少年の頃の私は、もう一人の少年の自分にお詫びというか約束をしないといけなかったわけですよね。文学をやりたいというもう一人の自分に了解をとらないといけないと思いました。どういう風に了解をとったかというと、文学を捨てる訳じゃない、ただ今は封印をしておくだけだと。きっとこれも生涯大事にする、文学を捨てた訳じゃないと。一生懸命もう一人の自分に説明して納得してもらいました。そして今も、いささかも私は封印した文学を捨てたつもりはありません。当然、いつか一定の時間をいただけることがあるだろう、その時に私は封印を解いて、それに立ち向かってみたいなとそんな風に考えています。人生はおおむね3万日短いようですが意外に長い気もします。学ぶ時は充分にあります。私は「生涯一書生」という言葉が好きです。 我々には、いろんな道があると思いますけど、選んだその道にしっかりと情熱を持って立ち向かっておけば、私はどの道もそう大きな差のある道ではなかろう、とそんな気がしています。今日は、「創業の心」という題をいただいてはじめた講演ですが、創業以来、またこれからもずっとテーマになっていくのが、人材作りであろう、本当に人が全てと言っていいくらい「人」の大事さを痛感しています。一人、また一人と、しっかりと育って欲しいなと思う一念から、「そこのところをこう伸ばすとこのスタッフはもっといいだろうな」と思いながら、人作りに取り組んでいます どれ程の意味があるかは問題ですが、12月28日になると、全員で瀬良垣ビーチという、恩納村の小島まで自転車をこいでいきます。もう26年も続いています。そこでファイヤーをたきながら、一年間の思いを託して俳句を作り、各人が自分の一年を語ります。楽しいものです。もちろん私も一緒に自転車をこざます。一番楽しんでいるのは私かもしれません。まあそんな風にして、厳しさと楽しさは、働くことにおいて、まさに両輪だと私は思っています。厳しさのない楽しさは本当の楽しさではないと思っています。それは心からの楽しさはえられない、私は厳しさがあって楽しさがあると思っています。逆に言うと、楽しさがなければ、厳しさは辛さだけが残り耐えていけない、本当の厳しさまで辿り着けないと思います。これらが両輪になって職場は生きているものだと思います。 そういうことで、厳しい中でまた楽しさをみんなで見つけてみよう、こんな事を思いながら、小さな寺子屋ですけど、スタッフともども、みんなで頑張らせていただいております。かなり私の身勝手な話もあったかと思いますけれども、以上が、30周年という機会に私が皆さまにお伝えしたかったことです。 長い間のご静聴ありがとうございました。