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『 創 業 の 心 』 〜 企業の求める人材と子育て 〜
城問税理士事務所 城 間 源 哲
御陰様で30周年を迎えることができました。多くのお礼を申し上げるところですが、それらの挨拶文は、お手持ちの封筒の中に入れさせていただきましたので、早速お話に入らせていただきます。 本日お越しのお客様は、学生の方、お勤めの方、経営者の方、それと奥様方と、そのような多様な構成になっております。これからの話も、皆様にとって共通のテーマとして生きるようにしたいと思います。これだけ多くの方のお時間をいただく時にいつも思うのです。せっかく大切なお時間をいただくのに、それなりのお持ち帰りいただくものがあるだろうか、ということを気にしながらお話するわけです。何か一つでも、皆様のお役に立つものがあればいいなと、そんな思いで話を始めさせていただきます。 創業の心と言う題をとらせていただきましたが、創業以来ずっと我々が大事に問い続けているのが人材の問題です。人材の問題が我々のテーマであります。ご承知の様に、企業は、人、金、物が必要ですが、特に人なくしては始まらない。企業が歩くわけではなく、企業の人が行動をします。その人づくりについてお話をしながら、城間事務所のこれまでのプロセスについては、話の流れの中でお伝えしていきたいと思っております。 まず今日は、4つの事を主に話していきたいのですが、最初に人づくりという事で、深く考える人について話をさせていただきます。それから2番目には、「ハイッ」と「ありがとう」を言える人について、3番目には、後はど説明させてもらいますが、「今の若者はイイ」と言い切って話をしたい。最後に職業の選択というのは、人生にどういう影響をあたえるかと言うことを、これは私の体験を踏まえて話をしたい、とこんなところで4つの山を持ちながら話をしたいと思います。
そこで話は始まるのですが、駐車場の一角に国道へ向けてベンチを置いてあります。最初にそこにベンチを置こうと話したところ、「いや〜所長、こんな場所にベンチを置いても誰も座りませんよ」、「どうしてだ?」と言うと「みんなに見られるじゃないですか」と言うのです。「それは見られていると思うからで、そこに座ってたくさんの車や通行人を眺めていると思えばいいじゃないか」と私は言うのです。今日1つ目のテーマですけれども、我々が物を見る、深く考えるというのは一体何だろうか。実は深く考える人と言うのは多面的に物を見るということです。いろんな角度で、いろんな目線で見る事なのです。先ほどお話しましたが、ベンチに座って自分が見られるだけではなく、そこに座って通行人を見る、あるいは見られている通行人の気持ちはどうか、いろんな見方を楽しんでみるといいのです。
わが職場ではものを見る時に幾つの面から見たか、「こっちから見たらどうか」「そっちから見たらどうなのか」という訓練をしております。特に私どものように判断を業務とする職業において、非常に重要な事です。1つの面だけしか見ていない時、それはまだ物事の実体を見ていないのです。物事には少なくとも3つの面があり、その3つの面が見えない時は、まだ目前にある問題、事柄を見ている事にはならないと理解していいかと思います。 私はユダヤの裁判という本を読んだことがあるのですが、内容は、裁判官が3名いて、それらの裁判官がその事件について全く同じ結論に達したらどうなるかということでした。3名が3名ですから、100%同じ結論ということになります。あなたなら「これはイイ、この判決で行こう」という事でよろしいでしょうか?実は、ユダヤの裁判ではこの場合の判決はNOになります。それは優秀な者が3名もいて、全く同じ結論になるはずはない、ちゃんと自分なりの角度、違う角度から見れば、同じに見えるはずはないというのです。この判決はおかしい、もう一度やり直しだ、という事になるのだそうです。 お聞きになった事のある人も多いかと思いますが、3人よれば文殊(もんじゅ)の知恵と言います。文殊は菩薩(ぼさつ)の名前なのです。非常に知恵のある菩薩なのです。1人では無理だが、3人集まれば文殊さんの知恵が出せるのではという事で、3人よれば文殊の知恵と言われています。ちなみに、菩薩 とは、仏の1ランク下になります。会社に例えるなら社長の次、専務か常務あたりですね。皆さんの家庭に例えると、お父さんかもしれませんね。他にもう1人もっと偉い人、もっと強い人がいるような気がしますので。余談です。ともかく、同じ角度から見る人が3人いて同じ結論になっても、1人の知恵となんら変わらないのです。いろんな違う角度から見る人がいることが、我々の言う文殊の知恵なのです。違う角度から見て違う意見を言う人は文殊の知恵を出しているのであって、反対しているのだと勘違いなさらないように。我々は文殊の知恵をだしている意見なのか、違う意見を言いたくて単に反対をしているのか、素直に判断すべきです。 何か問題がある時は、自分と同じ意見ではなく、少し耳は痛いが自分とは違った意見の人を捜すと、むしろそこに文殊の知恵があって問題解決の糸口がみつかるものです。そうではなく、賛成者を捜すと、その人は応援団にはなれるが、問題自体を解決する力にはならないことが多いのです。実務的にもこういう事はよく感じます。我々は職業柄さまざまな企業の事を考えながら生きるのですが、ときどき、この企業は、企業スタッフ全員が揃って同じ視点で事を考えているなと思うことがあります。この場合同じ意見が複数の者から出ているので、ついこれは文殊の知恵だと錯覚しているのじゃないかと感じるときがあります。 ある例を申し上げましょう。ある大きな300〜400名は入りそうな中華レストランがありました。おそらくそのレストランはうまくいかないであろう、とわが職場では考えておりました。その企業は、我々とは直接関係はなかったのですが、何故そのような事が言えるのかと言うと、建物の建築中に開店案内をTVでお知らせしているからです。しかもそのTVの時間というのがゴールデンタイム、視聴率の高い時間を使いながらCMを放送しておられる。そうするとどういう現象が起こるであろうか、と我々は思うわけです。オープンの日というのは、スタッフが100名にもなりますと、お互いに名前もまだスムーズに出てこないかもしれない。途中で事前訓練をしていたとしても、実際の現場とは違います。従って、お客様が一斉にどっとお見えになると、ホールでもいろんな手違いが出てくる、厨房の方でもなかなか応じきれない。そういう現象を考えると、オープンの日にたくさんのお客様をお呼びするのは大変危険な事です。ひょっとしたら帰る時には、あの店にはもう行くまいとその来店した人が思うかもしれない。それだけで その時に見える世界は何かと言うと、複数の方が集まって、如何にオープンの日にたくさんのお客様をお呼びするか、そのためには、広告効果はTVの何時が良いかと真剣に議論をされたかと思います。しかしそこでは多くの客動員という「面しか、全員が見ていなかったということになります。店側だけのシナリオしか書けていなかった。来店するお客様側からのシナリオが抜けていたか、もしくはかなり弱かった。多くの人で確認すると、時に人は緊張感をもって考える事をしなくなることがあるのです。 わが事務所では、「印鑑は3つをこえて押すな」と言います。それは何故かと言うと、書類を作る担当者としての緊張感、それから間違いないかとチェックする先輩としての責任感、もう1人、最期の者は結果に対して本当に責任をとらなければいけないという結果責任に対する緊張感があって、各々自分の立場で真剣に見る。印鑑はたくさん並べて押すと、いろいろな模様が出てたしかにキレイですが、キレイだから良いものではない。私は3名のチェックマンが良いと思うのです。規模によって、どうしてもその数ではと言われるところも、どれだけの認識があって、どれだけの緊張感をもって、押印しているかはお考え下さい。
わが事務所のお話をします。実は当事務所の30周年は内輪では済んでおります。本来の30周年は、4 話を少しまとめます。深く考える人を我々は求めています。そして、深く考える人を育てていきたい。深く考えるが故に違う角度から物事を見るスタッフがいるときは、ぜひその意見に耳を傾け、なるほど自分はそこが見えなかったが、そういう風にも見えるのか。という具合に、寛容というか、忍耐というか、大事にしていただくといいかと思います。 次の話に移っていきますが、次は実に解りやすい話です。「ハイッ」という言葉、それから「ありがとう」という言葉を使える人、これは企業にとうて非常に大事な人なのです。城間事務所は創業以来、面接の際にチェックシー 人の考えるのはたいてい同じだと、よく思うときがあります。法人倫理の会という、朝の6時から勉強して、きちっとスーツを着て、食事をして、そのまま仕事場へ行くという、そういう勤勉な皆様がおられます。そこで何回か講話をさせていただいたのですが、最初に私は「ほう」と思ったのです。その方達が唱える言葉の中に、同じ書き方で、同じ表現で「ハイッ」というのが入っているんですね。なるほど、この言葉というのが大事だというのをやっぱり思っていらっしゃるのだなと、人の考える事は同じもんだな、とその時もそのように思いました。「ハイッ」という言葉が出る、「ありがとう」という言葉がでる、私はこの二つがしっかり言える子が育っておれば、お母さん方の教育は、それでもう成功しているんじゃないか、そのように思います。「ハイッ」、「わかりました」、「ありがとうございます」そういう言葉が出れば家庭も会社もコミュニケーションはOKです。 どうしてそのようにいうかといいますと、今日は学生の方もいらっしゃいますが、実は卒業して会社へ就職する、或いはどこかへ就職なさる時には、ご本人はどう思っているか知りませんけれども、実は実務の中では、就職間もない者は仕事の邪魔になっているんです、ほとんど。先輩達が1時間でやるのを、その新人にやらせるとなると一緒にお付き合いして、3時間〜4時間かからないと仕事が終わりません。ほとんど実務的には、邪魔になるんですね。ですから、うちで し訳ないんですが、扶養家族といいます。実務においてそのようであること、それから稼ぎにおいてもまだ人の稼ぎの中で給料をいただかなければいけない、そんな意味で扶養家族と、ちょっときつくいいます。それでもなお、育ってもらわなければならない、3年までそのようでも、4年目から戦力になってもらいたい。 その忙しさの中で先輩達はどうして一生懸命付き合うか、それは「ハイッ」という言葉につられて、「ハイッ」という言葉に導かれてやるんです。「やりますよ、やらせて下さいよ」という宣言をしているものですから「そうか、やるか」という具合に先輩達は答えるわけです。「ありがとうございます。おかげさまで結果が出ました。」その結果に対して感謝をする、結果が出るとうれしい。ありがとうという言葉の中には、喜びと感謝が含まれています。ですからそれを言う人もうれしいでしょう。それを聞く人もなおうれしいのです。「ありがとう」という言葉はそういう力があると私は思います。「ありがとうございます」というと、「よしわかった、もう少し難しいのをやらせてみようかね」とも考える。ですから「ハイッ」と「ありがとう」という言葉は、私は凄い言葉だといつも思います。 わが事務所では、先輩が後輩を育てる、その間仕事が遅れても後輩を育てる。どうしてか、みんなもそうして育ったからです。「新米に仕事を手伝わせると、その分自分の仕事が遅れますが」「遅れてもいい、それは、別の日でやればいい。夜でも日曜でもやればいい。付き合ってやれIと、うちではそれを伝統にしています。他のところから来ると、ちょっとびっくりするみたいで「え〜、こんなにかまってもらえるのは初めてです」と言いますが、それは先なる者もそのようにして育ってきたから当然なんです。そしてわが事務所は、男性、女性ということもありません。年齢というのも関係ありません。学歴も関係ありません。万事やればわかる。やれば一目瞭然何ができるかがわかる。年令やらも忘れてやってみたらよかろうということで頑張ってもらってます。男女も関係ないというのは、男女平等だからかということになりますが、そんなむつかしい話ではなくて、いうなればスポーツチームみたいなものです。そういうことで、わが事務所は創業以来、女性の諸君も一人のチームメイトとして、プロのチームメイトとして、「君」付けで呼ばせていただいてます。いくつになっても「○○君」とこう呼んでいます。もちろん、ご家族から電話がある時は、「○○君ですか」なんてそんなことはいいません。丁寧に「○○さんのお母さんですか」という具合にお答えします。が、普通は「○○君」と呼ばせていただいています。そういう意味では少し、スパルタ式なところがあると思います。スポーツチームというような考え方で、互いに訓練しています。言葉を変えますと学校風です。ですから私も、後ろからいきなり鉄パイプで打たれないか気をつけながら歩いています。用心深く彼等の前を歩いていますけれども、その為に体も鍛えておりますので大丈夫です。それどころか、今のところは彼らの方が返り討ちにあう可能性があります。そんなことで鉄パイプを持ってくる人は今のところいませんが、そのぐらいのつもりだと、本人達にもよくいいながらお互いにやっています。 わが社は学校風だといいましたけれども、辞めていった職員の事を卒業生と呼んでいます。「うちの卒業生の彼は、あるいは彼女は今どこで何をしているんだ?」という具合に。去って行く時は、人はいろんな事由で辞めていくわけです。それはやっぱり、各々の自分の人生計画もありますから、一向に構わないことだと思います。しかし、このように厳しい付き合いの仲間としてやってもらっていますので、 今日もこの会場には卒業生の何名かが参加していると聞いています。御陰様でわが事務所は今年で30年、総勢30名の小さな寺小屋ですが、それでも今いる私達だけがつくったのではありません。卒業生の諸君がわが事務所にいた頃、必死になって頑張ってくれて30年を迎えることが出来た、卒業生の諸君も一緒になってつくってくれたと、私は素直にそう思っています。
*** 話の途中ですが、後半は次号へつづきます *** |