城 間 源 哲
猫のことをことさらに悪く言うつもりはないが、どうも最近の猫は本来の職業をもたない。かつての猫にはれっきとした役目があった。それは鼠を捕るという仕事である。「猫要らず」はあったかあるいはあったとしてもとても高価な頃だから、鼠は横行し、夜ともなるとわがもの顔で天井裏を踏みならし、平気で人間の枕元を走り抜けた。これはまだそう古い話ではない。その安眠妨害に立ち向かって人間に味方したのが実は当時の猫である。したがってその頃の猫は、有益な動物としてその力量が高く評価され、どの家庭でも大事に飼われたものである。多分、馬や牛につぐ働き手だったかと思う。それだけに、当時の猫は堂々としていた。日本の文豪である夏目漱石先生の有名な小説の題名にもなり、「吾輩は猫である」と称して登場したほどである。 反面、猫は芸者という異名を持つのもたしかである。人に媚びる術にたけているからである。猫なで声という言葉のとおり、人の機嫌をとるためには声色を使い分ける能力すらある。どうも最近の猫は、もっぱらこの方の才能だけで人間に取り入って生きていくつもりでいるようだ。また人間もそれをよしとしているようなのだから、何も小生ごときが、今の猫は職業をもたないとか有用ではないとか、とやかく言う筋合いはないのかもしれない。 足を踏み入れるまではそれでいいと思ったのだが、また当然その時すでに予想すべきことでもあったのだが、そのうち、この雄猫(多分だが)は、臭い黒い固形物を毎日のように砂の中に隠すという職務に専念するようになったのである。職場の仲間もそれを知っていて、彼が生理現象を起こしている最中に棒でなぐりつけた男子職員が一人だけだがいたらしい。しかしそういう対応の仕方は決して民主的とはいえないので、一応経営者という立場上、私が何らかの対策を考える破目になった。
まずは、猫の好きな既製の餌「キャット・フード」を石庭いっぱいに置くことにした。これには反対意見もあった。かえって猫を呼び込むとことにならないかという懸念からである。このことについては、私にはそれなりの勝算があった。動物は大事な餌がとれる近くには排泄しない習性があると聞いていたからである。糞はしなくなった。しかも、自分のくさい糞がかなり嫌いとみえて、かつて自分の分身のあった近くに置いた「キャット・フード」は決して食べないのである。